戦国の長曾我部家

戦国の長曾我部家

長曾我部家は三代に渡って興亡になる。

国親が一条氏に「この堀(3m強)を飛び降りれたら、なくした領地返してやるぞ」といわれ、おさなながらに飛び出し、無事、なくした領地を復興できた。

次の元親は、最初長男の割りに文弱な性格で父親の頭を悩ませた。
だが20の初陣で見事一番やりと指揮ふふたつをやり遂げ、父に杞憂だったと安堵させる。
姫若子が鬼若子になったのだ。
「土佐の出来人」といわれた元親は明智氏の娘を嫁にもらい、嫡男の「信」を信長からもらうなど、四国の制覇を目指しつつも本土へ視線を向けていた。
元親が信長とかかわりを持ったとき、まだ信長は美濃を制覇したばかりの出来星大名であり、だれも信長が天下に覇を唱えるまで成長するとは思っていなかった時期である。
そしてもらった明智氏の娘は春日の局と濃い血縁関係でもあった。

元親は嫡男信親に目を掛けていた。
都風のことを覚えさせ、田舎もの扱いされることがないように教育した。
 

だが、信長の四国征伐は頓挫するも、秀吉の四国征伐にひざを屈せざる終えず、せっかく四国を統一するも土佐一国にその身を修められてしまった。

そして九州征伐。

戸津川の戦いで大切に育てた信親をなくしてしまう。

 

家は乱れ、元親は気力をなくした。
元親は末っ子に家を継がせようと無理をし、家中を乱してしまう。

さらに中央の情報におろそかになり、関が原では西軍につきつつ日和見となり、ついにお家断絶。

家禄を継いだ盛親は一国の当主から浪人にまで落ちてしまった。

 

そして大阪の陣。
最後の舞台を探した盛親の生涯はそこで終わった。

2008年10月 6日|

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